第8章 ヒツジとヤギ
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ヒツジとヤギは系統樹上できわめて近いところに位置している
両者は進化の歴史をかなり共有しているため、ひとまとめの群れで飼育することができる
結果的に土地が有効的に活用できることがわかり、人間の歴史のなかではヒツジとヤギは一緒に飼育されてきた期間の方が長い
しかし、西欧文化ではあえてその違いを強調しようとしてきた
ヤギには色々とネガティブなイメージが結びついている
サタンは人間とヤギのキメラとして描かれたりする
ヤギが色情狂の見本ともみなされるのは、おそらく悪魔からの連想
実際、この比喩が示す性欲過剰という点で雄ヤギの方が雄ヒツジよりも激しいわけではない
どちらの雄も相手かまわずで、まったく受け入れ態勢にない雌とも交尾しようとするほど
ただし、雄ヒツジの方は受け入れてもらえる
英国には「ヤギのように好色な(randy as a goat)」という変わった言い回しがある
goatは雌雄を区別しないので、ramの方が適切だろう
スケープゴートという語はユダヤ教の伝承に由来する
贖罪日(ヨム・キープル)には祭司が雄ウシ一頭とヤギ二頭を選んで生贄としていた
スケープゴートは雄のみで、くじ引きで選ばれた(「レビ記」 16章5~10節; Feinberg, 1958)
雄ウシは祭司長(アロンの息子たち)の罪をあがない、ヤギのうち一頭は民衆の罪をあがなうために、それぞれ屠られた
もう一頭のヤギがスケープゴートであり、屠られたヤギ以上に過酷な運命にさらされた
同じく民衆の罪を贖うためにヤギは荒野へと追放されるのだが、放っておくと戻ってきてしまい、そうすると民衆が再び罪を負うことになるので、たいてい誰かがあとをつけていき、こっそり崖から突き落とすなり何なりして死ぬのを見届けた
スケープゴートは居住地から10マイル (約16キロ)のところで放たれ、戻ってこれないようにした (David Guzik, "Leviticus 16–The Day of Atonement,” Enduring Word Media, 2004)
とはいえ、ユダヤ人はヤギに対して特に憎悪を抱いていたわけではなかった
生贄として扱っていたという事実からその反対であることがわかる
ヤギの評判が急落したのはキリスト教のしきたりができてから
おそらくキリスト教徒をユダヤ教徒から区別する方策として、「マタイによる福音書」の有名なフレーズにあるように、キリストは最後の審判の日にはヒツジをヤギから分けると宣言した(「マタイによる福音書」 第25章31~33節)
ヒツジは天国に属する群れとしてキリストの右側
ヒツジの雄には8%という結構な頻度で同性愛が見られる(Perkins & Roselli 2007; ヒツジは雄の同性愛研究のモデルシステムになっている)のだが、それは最後の審判の日に咎められることはない
ヤギは左側において邪悪なヤギ飼いであるサタンの永遠の所有物とした
ヒツジはヤギよりも従順で扱いやすい
誘導犬でも追い立て犬でもかまわないが、よく訓練された牧羊犬が一匹いれば何百頭ものヒツジをまとめられる
ヤギの場合は一匹では足りない
ヤギは社会的だが追従する性質は生来もっていない
ヤギはヒツジよりも好奇心が強く遊び好き
さらに、ヒツジは見かけほど愚かではない(Morton & Avanzo, 2011)とはいえ、ヤギには実際的な頭の良さという点でヒツジを凌ぐものがある
ヤギは仲間の視線に注意を払って重要なことを見逃さないようにする(Kaminski et al., 2005)
ヒツジはそんなことはしない
ヤギのほうが、柵が傷んでいるところを発見するのがうまい
ヤギはヒツジよりも運動能力も優れている
生まれつき前肢のないヤギの「パン」(Slijper, 1942)
驚いたことにパンは後肢二本だけでうまくやっていくことができ、同年齢の四足の仲間たちに負けなかった
パンを解剖すると、腰部の骨格と筋肉は大きく変化し、もともと二足歩行であるカンガルーや人間とかなり似た状態になっていた
二本足のヤギは表現型可塑性の衝撃的な一例である
骨格系・筋肉系・神経系が相互作用しながら発達し、克服不能とも思える障害に適応した
ヤギは運動能力に関わる形態を対象とする選択を過去に受けていたため、ヒツジよりもこの難問に対処しやすいのかもしれない
野生のヒツジとヤギの進化
ヤギもヒツジもウシと同じくウシ科に属している
ウシ科は偶蹄目のなかで反芻動物という大きな枝の一部をなす
そのため、ヤギもヒツジも、四つに別れた胃をもつなど、セルロースを多く含む食餌に対する一般的な適応形質を持っている
他のウシ科動物と同じく、ヒツジもヤギも角は生え変わらない
ウシ科は8つの亜科に分かれる
ヒツジとヤギはそのうちのヤギ亜科に属する
ヤギ亜科は中新世(約1500万年前)に他のウシ科から分岐し、やがて北半球の特にアジアを分布域の中心として、山岳地帯の生息環境を占めるようになった(Bibi et al., 2009; Bibi & Vrba, 2010; Ropiquet & Hassanin, 2005; Mathee & Davis, 2001)
ヤギ亜科はさらに四つの族に分けられる
そのうちの一つがヤギ族でヒツジもヤギもここに含まれる
ヤギ族はヤギ亜科の他の族から約710万年前に分岐した
その次が属でヒツジはヒツジ属(Ovis)、ヤギはヤギ属(Capra)に属する
この2つの属が分岐したのは約570万年前のこと(Pirastru et al., 2009)
ヒツジ属の野生種
アルガリ(Ovis ammon)、アジアムフロン(Ovis orientalis)、北アメリカ産のビッグホーン(Ovis canadensis)など
ヤギ属の野生種
ベゾアール(パサン Capra aegragus)、マーコール(Capra falconeri)、アルプスアイベックス(Capra ibex)など
北米のシロイワヤギは真のヤギではなく、ヤギ族でさえない。シャモア、カモシカ、ゴーラルなどを含むシャモア族の仲間であり、ヤギ族との類縁関係はヒツジよりも遠い
ヒツジもヤギも野生種は山岳地帯に生息しているが、両者が好む生体環境は異なっている
野生のヒツジは草の生えた開けた地帯に引き寄せられ、以前は現在よりも標高の低いところに生息していた
野生のヤギは標高の高い岩場を好む
ヒツジは生粋のグレーザー(草原の草本を主に食べる動物)なのに対し、ヤギは草もよく食べるが、樹木の葉も食べる
その際、上の方の柔らかい葉に届くように後肢で立ち上がって身を伸ばし、長時間その姿勢を保つ
随時二本足で立つという野生のヤギのこの傾向が、なぜパンが前肢がなくても生きていけたのかを説明してくれる
どのヤギにも備わっている、二本足である程度は立てるという部分的な能力を、パンは完全なものにしただけなのだ
ギリシャ人は放埒な神ディオニュソスの乱交好きな仲間として、サテュロスという半人半獣を創り出したが、二足で立てるというヤギのこの能力がその一因となったのは疑いない
さらに、ギリシャ神話のサテュロスがキリスト教におけるサタンという存在を作り出すのに一役買ったかもしれない
家畜ヒツジの原種となる野生種の候補について、遺伝子による証拠はアジアムフロンを示唆している
この野生種はコーカサスの南から東南ヨーロッパと西南アジアの山岳地帯に生息していた(Rezeai et al., 2010)
今日、アジアムフロンの分布は大まかにいってコーカサス山脈、イラク北部、イラン北西部に限られている
家畜ヤギの原種となる野生種は、これもまた遺伝子による証拠からだが、ベゾアール(パサン)
ベゾアールはかつてコーカサスから西南アジアの大半にかけて分布しており、アジアムフロンと分布域がかなり重なっていた
今日、ベゾアールの分布域はアジアムフロンほどには縮小していないが、どちらも絶滅に向かって急速に滑り落ちているのが現状
ムフロンの家畜化
雌のムフロンは、野生ヒツジすべてや他の多くのウシ科動物と同じく、複数の雌と雌雄の幼獣で群れを作って生活している
雄の成獣は一般的に雄だけで群れになっていて、雌と関わりを持てるのは繁殖期だけ
それも、高度に儀式化されているが身体的な負担も大きい闘争によって資格を証明できたものだけに許される
実際、ほとんどの闘争は視覚的な評価によって結果が決まる
特に重要なのは、それぞれのコンディションと角のサイズ
まずポーズをとり、それでも相手を思いとどまらせることができなかった場合は、角でもって豪快にぶつかりあう
雄ヒツジたちは互いから離れる方向に走り、十分にスピードを出せる距離まで離れてからぶつかり合う
城門などを破るのに用いた武器を「破城槌 battering ram」と呼ぶのはこれに由来する
何度も何度も繰り返し戦闘行為に及び、突然、片方の雄ヒツジが降参して素早く退場する
闘いの勝者は雌の大部分と親密な交渉に及ぶことができる
ただし敗者がこっそり交尾できることもある
優位な雄に気づかれず、雌が従順な場合
考古学的な証拠は、ヒツジが最初に家畜化された場所としてトルコ内の二箇所を指し示している
トルコ東部のユーフラテス川上流域とトルコ中央部
後者はウシが最初に家畜化された地域全般(Peters et al., 1999)
遺伝子による証拠は主にミトコンドリアDNAによるもので、また別の3ヶ所を示している
西アジアとおそらくトロス山脈とザグロス山脈という三ヶ所で家畜化が別々に始まった可能性がある(Meadows et al., 2007; Meadows, Hiendleder, & Kijas, 2011)
ヒツジは当初は頼りになる食肉源として、さらに、イヌやネコのような片利共生的な関係によるものではなく、ウシのように生贄獣とされたことから家畜化が行われたのは明らか(Vigne et al., 2011; Zeder, 2012)
この過程の初期では野生集団が管理されていた
この状態は長期間続き、管理の程度はさまざま
ブタやウシでもそうだが、繁殖目的には数頭の雄がいればよいので、若い雄が選別され屠殺されてた(Arbuckle, 2008)
もともとの食肉用ヒツジはムフロンによくにていたが、体格はやや小柄だった(Zeder, 2008; Zeder, 2011)
この食肉用ヒツジはおそらく人間の手によってアフリカやパキスタン、インド、中国、それにヨーロッパへ運ばれていた(Zeder, 2008; インドへの家畜ヒツジの最初の到来についてはSingh et al., 2013を、アフリカへの最初の到来については Muigai & Hanotte, 2013 を参照)
ウシもそうだったが、ヨーロッパへの移動には2つのルートがあり、地中海ルート(主に船による輸送)と、バルカン半島を北方へ抜けるドナウ川ルート(Zeder, 2008; Chessa et al., 2009; Tresset & Vigne, 2011)
原種に近い食肉用ヒツジの在来種は大部分が絶滅している
生き残っているのは主に野生化した集団だが、そのなかには土地原産の野生種だと長らく間違われていたものもある
たとえば、キプロス島やサルディニア島で「ムフロン」と呼ばれている集団がそうだ
これは、実は家畜化過程が始まった頃、原種に近い食肉用ヒツジが人間の管理下から逃げ出して野生化したものの子孫(Chessa et al., 2009)
その他、原種に近い食肉用ヒツジの野生化による集団には、北大西洋の諸島産のオークニー羊、ソーイ羊(ソーエイ羊)や、フェロー諸島産のもの、アイスランド産のものや北欧産の在来種がある
この北方の原始的な在来種は、野生化する前に人間の管理下に置かれていた期間が地中海の諸島産のものよりも長かったため、ムフロンにはあまり似ていない
それにもかかわらず雌雄ともに角を有し、換毛期があり、毛色が濃く、毛が粗いなどといった、もともとのムフロンの形質を保持している(Chessa et al., 2009)
ヒツジは当初は食肉用に家畜化され、長らくそのままだった
人間が羊毛を利用するために計画的に改良し始めたのは、家畜化開始から数千年が過ぎてから
この移行を示す考古学的な証拠はいささか貧弱だが(Ryder, 1983; Sherratt, 1981)、西南アジアで約5000年前に起こったのが最古のようだ(Chessa et al., 2009)
その地で、移動の第二波としてこの毛用ヒツジ(綿羊)の移動があとに続いた
その移動には北アフリカに至るルートやパキスタン経由で中国に至るルートがあった(Cai et al., 2011; Muigai & Hanotte, 2013; Chessa et al., 2009)
綿羊が南ヨーロッパに姿を現すのは約4000年前のことで、おそらく地中海ルートに沿ったフェニキア人の交易によるものだったと考えられる
北ヨーロッパにはドナウ川ルートを通ってそれよりも後に到達しただろう(Chessa et al., 2009)
この北方の綿羊は、結局ヴァイキングによってスカンジナビア半島全域、アイスランド、フェロー諸島に伝播された(Chessa et al., 2009; Bollvåg, 2010; Tapio et al., 2010)
英国の綿羊は主に北方ルートを通ってきたもののようだ(Ryder, 1964; Chessa et al., 2009)
綿羊がヨーロッパに到着するとまもなく、綿羊は初期の食肉用在来種にとって代わった
この在来種がソーイやオークニーなどで、現在では、牧羊がほとんど行われていないヨーロッパの辺境地域に野生化した集団として存在するだけ
毛肉兼用ヒツジはヨーロッパでも他の地域でも在来種へと分化して行き、それら在来種をもとに様々な品種が作られていった
現存する何百というヒツジの品種の大部分はそうやって構築されてきたもの(Chessa et al., 2009)
ベゾアールの家畜化
ベゾアールはムフロンよりもずっと険しい山岳地帯に生息している
ムフロンと身体のサイズはおおかた同じだが、ベゾアールのほうが四肢が長い
ベゾアールの毛色は集団によって様々だが、概して灰色か茶色の色合いで、鼻づらや胸、四肢は色が濃く、黒い場合もある
ほとんどの野生ヤギと同様、雌雄どちらにも顎の下に長い顎髭のような毛(顎髯)が生える
顎髯を除けば、ベゾアールとムフロンの身体的相違点で最も明瞭なのは角
ベゾアールの角のほうがムフロンよりも細めで長く、後方にカーブして偃月刀形をなす
角には一定間隔で環状の隆起がある
また、他の野生ヤギとは違って、角の前面には付け根から先端に向かって隆起が走っている
ベゾアールの社会的構造および社会的行動や配偶行動はムフロンとよく似ている
ムフロンと同様に雄のベゾアールは地位と雌へのアクセス権をめぐって儀式化された闘いを行う
主な違いは、ムフロンでは互いにある程度の距離から助走してくるのに対し、ベゾアールでは二本足立ちができる能力を生かし、同時に後肢で立ち上がって角を打ち下ろすという点
ベゾアールは頸部に立派な筋肉が発達している
ベゾアールの雄も一年の大半を雌や幼獣とは離れて生活している
ヤギの家畜化が行われた最古の場所として今の所わかっているのは、考古学的証拠によれば、イラン西部ザグロス山脈南部
約1万年前のこと(Zeder, 1999; Zeder, 2006; Zeder & Hesse, 2000)
遺伝子の証拠は、これまたミトコンドリアDNAの解析によって、西アジアその他の高地でも独立して家畜化が行われたことを示唆している
その一つはトルコ東部(Zeder, 2008; Zeder, 1999; ザグロス山脈北部と中央部も含む)
それによれば、現存する家畜ヤギの大多数は、ザグロス山脈南部ではなくトルコ東部に生息していた野生のベゾアールの子孫だと考えられるという(Naderi et al., 2007; Naderi et al., 2008)
ベゾアールがもともと分布していなかった西アジア低地の人間の居留地に見られるようになったのは、9500~9000年前頃のこと(Fernández et al., 2006; Vigne, 2011)
ベゾアールはそこを中心に来たと東は中央アジア、北と西はヨーロッパへ、東はインド、南はアフリカまで、各方向に人間により伝播された(Zeder, Smith, & Bradley, 2006; Luikart et al., 2001; 中国については、Chen et al., 2005 を参照)
ヒツジと同様、ヤギはウシに比べてかなり運びやすかったので、特に家畜化の初期段階ではウシよりも急速に広まっていった
家畜ヤギの伝播に関する考古学的証拠があまり見つかっていないのは、おそらくこのような急速な分散も一因となっているのだろう
地中海ルートに沿ったヨーロッパへの初期の伝搬の証拠は、キプロス島やクレタ島、イオニア島などの諸島のヤギから得られている
それらの地域のヤギは野生のベゾアールと非常によく似ており、長らくそれらの島々原産の動物相に属するのだと考えられていたほどである(Horwitz & Bar-Gal, 2006; Zeder, 2008; Hatziminaoglou & Boyazoglu, 2004)
しかし、実際はそうではなく、地中海ルートに沿って運ばれたベゾアールが野生化したものだった
ヒツジと同じようにヤギの被毛も家畜化の要素として常に重要なものだった
ヒツジの場合は、食肉以外に乳や被毛などを利用するという二次産物革命が起こったが、ヤギではそのような革命は起こらなかった
ヤギでは主に肉としての価値が重視されるのが常であり、被毛が利用されるようにはならなかった
ヤギがヒツジ(や乳牛)ほどには野生の祖先から逸脱せず、行動的にも身体的にも祖先の形質を多く保持しているのは、おそらくこの理由から
初期の家畜化過程
家畜化の初期段階はヒツジもヤギも極めてよく似ていた
ヤギのほうが文献が多いのでここではヤギについて
ザグロス山脈のヤギは何千年も人間の狩猟の対象だった
最初はネアンデルタール人に、のちには解剖学的現代人(形態的に現代人とほぼ同じホモ・サピエンス)に狩られた
ネアンデルタール人による野生ヤギの捕食については Speth & Tchernov, 2001を参照。解剖学的現代人による捕食については Marean, 1998; Shea, 1998; Otte et al., 2007を参照。またMunro, 2004 はナトゥフ文化の人々による野生ヤギの捕食について記載している
この狩猟は、生きていくために必要な食料を賄うためのものであり、ヤギの年齢や性別にはおかまいなしだった
だが、一万年ほど前に状況が変化し始め、若い雄を選別して狩ることが次第に増えていった(Hecker, 1982; Zeder, 1999; Zeder & Hesse, 2000 による推定。しかしArbuckle, 2008およびArbuckle & Aticim, 2013は選別的な狩りが行われたのはもっと遅いとしている)
群れの管理はまったく行われず、選別して間引きをするだけだったが、それが家畜化過程の始まりだった
雄が適応度に関係なく間引かれることによって自然選択の体制が変化し、それまでの体制との違いが無視できないほど大きなものになる
この段階では解剖学的な変化はまだそれほど現れないだろうが、身体や角のサイズに見られる性差は次第に少なくなっていく
このような条件下で身体や角のサイズにおける雌雄の収斂が見られるのは、雄だけが変化した結果
若い雄を間引くことにより雄の成獣同士の闘争が減り、その結果、性選択圧が低くなり、さらにその結果として雄の身体や角のサイズが小さくなる
ブタやウシ、ウマを含め、ヒツジやヤギのような配偶システムをとる動物ならどの種でもありうることだが、家畜化の最初期の徴候としては性的二型が減退し始める事が多い
この配偶システムは一般に一夫多妻制と呼ばれる。Zeder, 2006 およびVigne et al., 2011 を参照
家畜ヤギ(と家畜ヒツジ)はおそらく数百年間、この状態を保っていただろう
だが、9500年前から9000年前の間のいつか、自然分布圏の範囲外で、標高の低い地域にあった人間の居留地にヤギが見られ始めた(Fernández et al., 2006; Luikart et al., 2006)
この移行により、野生のベゾアールと家畜化されつつあったベゾアールとの間の遺伝的交流は減少し、家畜化過程が大きく加速された
元の集団のなかで従順性の高い個体が人里に連れられていったのは明らか
この新しい環境下で、ヤギは餌などの供給をさらに人間に頼ることになったわけだから、従順さはますます有利になっていった
連れてこられたヤギたちには変化が見られ始め、角の形状が変わり、四肢が短くなり、身体のサイズが小さくなっていった
加えて、性差はさらに減退していった
Smith & Horwitz, 1984; Zeder, 2006; Zohary, Tchernov, & Horwitz, 1998によるが、もっと後の年代についてはHaber & Dayan, 2004を参照。これら表現型の変化のいくつか、特に餌の供給に関するもの(Makarewicz & Tuross, 2012)は表現型可塑性として説明されている。現代の品種における性的二型の評価はPolak & Frynta, 2009を参照
証拠は残っていないが、毛色も野生型とは異なり、バリエーションが増えてきただろうと推論できる
おそらく、家畜化で見られる垂れ耳などの表現型が表れ始めた個体もいただろう
野生型の表現型を対象とする選択圧が緩んだためでもあるし、そういった表現型と、選択の対象としてきわめて重視されていた従順性との間に、発生過程での関連性があるためでもある
遺伝的浮動もまた、たとえばこの小さな集団内である毛色のバリエーションが固定する場合の要因となったことだろう
原種に近い在来種に由来する野生化集団
ユーラシア大陸と北アフリカ大陸にヒツジやヤギが伝播していく際、多数の野生化した集団が移動ルートに沿って残されていった
なかには野生の祖先とほとんど区別がつかないものもいる
家畜化過程のごく初期に野生化したという事実が反映されているからかもしれない
あるいはいったんは家畜化されたヒツジやヤギが新たな自然選択や性選択にさらされた結果、野生型の表現型が復帰したことを示しているのかもしれない
おそらくこの両方が組み合わさっているのだろう
だが、家畜化の歴史が長いほど、野生型の完全な復帰は起こりにくくなる
この観点から、キプロス島で「ムフロン」と誤って呼ばれている集団と、ソーイ羊を比較するのは有益だろう
どちらも家畜化された食肉用羊の子孫だが、ソーイ羊のほうは、原始的な特徴を備えているにもかかわらず、野生のムフロンと間違われることは決してないと思われる
幸い、ソーイ羊を対象として長期にわたる見事な研究が行われており、全体的には生態や進化に関して、具体的には家畜化に関して重要な示唆が得られている(たとえばColtman et al., 1999; Milner, Elston, & Albon, 1999; Coulson et al., 2001; Clutton-Brock & Sheldon, 2010; Catchpole et al., 2000など)
ムフロンには雌雄とも角がある
雌の角はかなり小さめではあるが、餌資源を得るための優位性を確立する役割を果たしている(Clutton-Brock, 2009; Robinson & Kruuk, 2007)
キプロス島の「ムフロン」の雄の角はムフロンの雄の角と極めてよく似ている
雌も同様
ソーイ羊はヒルタ島(セント・キルダ諸島の島)で研究されているが、状況はかなり異なっている
雄のソーイ羊は毛肉兼用ヒツジよりもかなり大きな角をもつ傾向があり、その角は野生型のようにカーブした形状をしているが、ムフロンの角よりはずっと小さい
さらに、「スカープ」と呼ばれる痕跡的な角しかない雄もいるし、雌の多くは角なしである(Ryder, 1981; Catchpole et al., 2000)
ここ数年間、人間がまったく介入しなかったというのに、ソーイ羊の角は野生型に完全には復帰しなかった
大きめの角を持つ個体のほうが(雄も雌も)多くの子をなすが、ヘテロ接合体優位という遺伝子の事情により、小さめの角をもつ形質も保存されるのだという(Pemberton et al., 1996; Robinson & Kruuk, 2007; Johnston et al., 2013)
ヘテロ接合体優位は、いわゆる「ゴルディロックス原理」で説明できる
基本的に、大きな角の雄(遺伝子型$ LL)は繁殖で成功を収めるが短命である
それに対し、痕跡的な角の雄($ ll)は雌をあまり惹きつけないが長命である
中間のサイズの角を持つ雄($ Ll)はちょうどよく、長生きしてセックスもたっぷりできるというわけだ
しかし、ヘテロ接合体優位がこの野生化集団では見られるのに、野生集団ではなぜ見られないのか
野生化集団の野生化以前の歴史について考える必要がある
ソーイ羊は家畜羊の子孫
そのため、家畜化された動物のすべてに一般的に見られる「ボトルネック効果」という遺伝的事象を経験している
家畜のもとになる個体は野生集団のごく一部であり、しかも野生集団から満遍なく選ばれたものではない
家畜化集団の遺伝的性質は、野生集団の遺伝的性質をそのまま反映するものではなく、家畜化集団の遺伝的多様性は野生集団よりもかなり低下している
野生集団のに見られる遺伝子のバリエーションのうち、家畜化集団が持っているのはほんの一部でしかない
そのため、家畜はあらゆる面で非典型的な遺伝的構造からスタートすることになる
偏ったサンプルによって生じたこの非典型的な遺伝的構造は、家畜化過程が進むにつれ、遺伝的浮動や選択の変化によってさらに変わることになる
キプロス島の「ムフロン」は、ソーイ羊よりも速くこの家畜化過程から抜け出したため、家畜化に関連する変化をあまり受けていない
ソーイ羊の場合、家畜として長い歴史を経ていたため、野生型の角が再び進化するのを妨げられている
家畜化を含めどんな進化の過程であっても、現在の生態的状況だけでなく歴史も重要である
歴史は偶然性が高いがために、そう簡単に逆転させることができないからだ
歴史の重要性もまた進化の保守的な面の一つ
野生のヒツジでもヤギでも、家畜化によってかなり変化した在来種や品種に由来するものでは、野生型の表現型はさらに復帰しにくい
ヒツジよりもヤギのほうが野生化した集団が多いのは、これが一つの理由
ヤギでは二次産物革命が起こらなかった
しかし、二本足ヤギのパンの例もあるように、ヤギは全般的にヒツジよりも適応y録が高い
ヒツジとヤギでこのように適応性が異なるのは、野生の祖先から受け継いできたものが異なるから
野生化したヤギは、セント・ヘレナ島やガラパゴス諸島、ファン・フェルナンデス諸島など、荒廃しきった辺境の島々に見られる
大半は、17世紀と18世紀の船乗りが将来立ち寄ったときの食料供給源として置き去りにしていったもの
このヤギのせいで島に生息する多くの鳥類や哺乳類が絶滅してしまった
比較的小さい島であっても、ヤギを根絶するにはヘリコプターに射撃手、イヌ、毒物などを総動員しなければならない(Campbell & Donlan, 2005)
在来種から品種へ
家畜化された哺乳類はどれでも同じだが、家畜ヒツジも家畜ヤギも、世界中に広まっていきながら、各地域でその土地に適応した在来種へと分化していった
ヤギは今日でもおおむねこの在来種の段階にとどまっている
徹底的な人為選択を受けたヤギの品種はわずかしかない(Dubeuf & Boyazoglu, 2009)
ザーネンやアルパイン(フレンチ・アルパイン)、ナイジェリアン・ドワーフなど、その億は乳用として人為選択されてきた
そのなかでもフレンチ・ローヴなど、数品種はごく最近作出されたもの
また、毛を産物とするように人為選択された品種もある
特にターキッシュ・アンゴラ(チベット原産)や中国のカシミヤ系品種
現在広く分布しているいわゆるボア山羊は、もともとは南アフリカのコイサン人が食肉用に人為選択してきた在来種だった(Pieters et al., 2009)
その他、バラディは中東で乳肉兼用として人為選択されてきたもの
他の在来種の多くは、品種と呼ばれるものでさえ、多用途であり、計画的な人為選択はされていない
「ヴィレッジゴート」が世界中で急速に分布を拡大しつつあるヤギ集団の大半を占める
ヒツジの家畜化は在来種の段階を遥かに超えるところまで進んでいる
現在のヒツジのほとんどは明確な品種、あるいはそれらをかけ合わせたものに分類可能
二次産物革命ののち、ほとんどの家畜ヒツジは肉毛兼用の一石二鳥の供給源とされ、時には乳も利用された
品種開発が行われる以前に、在来種の段階でも用途別にある程度の特殊化はされていた
その傾向は続いているが、ヒツジの品種の多くはごく最近まで兼用種であったし、未だにそうである品種も多い
そのため、品種の系統関係と機能による分類は一致しない(International Sheep Genomics Consortium et al., 2010; Chessa et al., 2009; ただし米国の品種にはあてはまらない (Blackburn et al., 2011))
ヒツジの品種の系統樹では、ムフロンを幹として、そこからまずソーイ羊のような初期の食肉用在来種が分岐した
その太い枝からまた別の長い枝が分岐し、その枝からは現在のヒツジの品種の大半が葉のように茂っている
この葉を支える枝がどのように分岐しているのか解明するのは難しい
この部分が系統樹のなかで急速に成長したため
また、ヒツジはヤギと同様に長距離を運ぶのが簡単であり、そのため在来種も品種の開発も、人類の歴史で起こった不測の変化に極めて敏感に反応してしまうからでもある
系統と地理の関係を示すシグナルは、ヒツジの品種では希薄だが (Meadows et al., 2005)、ヤギでは顕著であり、運搬しにくいウシの場合ではさらに顕著である。この違いは、ヤギの品種が地元の在来種から比較的最近に分岐したことにもよる
メリノが好例
この品種はもともとスペインの在来種で、良質の羊毛のために古くは12世紀から育種されていた(Sanchez Belda & Trujillano, 1979; Diez-Tascón et al., 2000)
18世紀までは王令により輸出が禁止されていたが、王室の国際化が進むにつれて贈り物として流出し始め、やがてヨーロッパに広く分布するに至った
移動は洪水のようになり、ついにメリノは北米やニュージーランド、オーストラリアにまで伝播した(北米のものがランブイエ・メリノ)
運搬も交雑もしやすいため、ヒツジの品種には地理的分布と系統的な関係に相関はあまり見られない
ウシやヤギ、特にブタと比べるとかなり希薄である
しかしながら、系統地理的な関係を示すシグナルが検知できないわけではない
予備的研究によって、ヨーロッパ産のヒツジがまずアジア産とアフリカ産両方のヒツジから明確に分岐し(Chessa et al., 2009)、その後、アジア産とアフリカ産のヒツジが分岐したことが示唆されている(Bruford, Bradley, & Luikart, 2003; Kijas et al., 2012; Muigai & Hanotte, 2013)
ヨーロッパ産のヒツジのなかには、南東ヨーロッパから北西ヨーロッパ方向へ伸びる系統的な軸がある(Handley et al., 2007)
予想されるように、南東ヨーロッパ産の品種は中東産の品種と系統的に近い(Chessa et al., 2009)
また、南東ヨーロッパ産の品種には遺伝的多様性が見られるが、家畜化が開始された地域との近接性を考慮にいれればこれは予想通りである(Handley et al., 2007)
さらに細かく見れば、イベリア半島産の品種のように、高山の品種は明確なクラスターを形成する傾向がある
ウシと同様に、家畜ヒツジのヨーロッパへの道は、ドナウ川ルートと地中海ルートの二通りがあった。イベリア半島産品種についてはPereira et al., 2006を、アルプス産品種についてはPeter et al., 2007を参照
英国のジェイコブ(ヤコブ)種は系統と地理の関係が破綻したものとしておそらく最も奇妙な例
ジェイコブは西アジア産の品種の方に系統的に近い(Chessa et al., 2009)
ヒツジには珍しく白黒斑であり、角が複数対あるという、これまたヒツジには珍しい形質を持っている
角の本数は変異が大きく2~6本で,無角の個体もいる
巻きひげのような角はしばしばランダムな方向に伸びているようだ
表現型に着目すると、特定の形質を共有する近縁な品種には、系統的なクラスターがいくつかある
尾に脂肪を蓄積する「脂尾タイプ」と、臀部に脂肪を蓄積する「脂臀タイプ」の品種のクラスターである(Peter et al., 2007; ヒツジについてはFontanesi et al., 2011を、ヤギについてはFontanesi et al., 2012を参照)
これには中央アジア産のカラクル、西アジア産のアワシ、南アフリカ産のアフリカーナーなどが含まれ、乾燥した環境にもよく耐え、肉が珍重されている
らせん状のねじれが目立つ角をもつハンガリー産のラッカを含むザッケル羊のグループ
現在では広く分布しているが、発祥地である南東ヨーロッパ付近で今でも豊富(Ryder, 1981; Ferencakovic et al., 2013; Drăgănescu, 2007; Kusza et al., 2008)
メリノ、脂尾・脂臀タイプ、ザッケルタイプという系統的なクラスターの存在にもかかわらず、現在の表現型によるヒツジの品種の分類は系統とはまったく相関関係がない
ヒツジは機能で定義された6ないし7のグループに分類される事が多い
この分類は品種の系統にはほとんど関係していない
ヒツジとヤギのゲノミクス
ヒツジ
DNAのコード領域と非コード領域について、毛色や身体のサイズ、身体の形、繁殖形質、成長速度に関する突然変異が同定されている(Kijas et al., 2012; Moradi et al., 2012)
選択の足跡を最も強く残しているのは、無角状態を引き起こす遺伝子(International Sheep Genomics Consortium et al., 2010; Kijas et al., 2013はヤギのSNPの調査を行った)
ヤギ
方向性選択下で最も急速に進化した44個の遺伝子のうち、7個は免疫に関するものであり、3個は下垂体ホルモンに関するもの(Dong et al., 2013(下垂体); International Sheep Genomics Consortium et al., 2010)
ベリャーエフの論文のことを考えれば、後者はさらに調査すべきである
点突然変異(一塩基多型、SNP)による進化に加え、ヒツジでも山羊でもコピー数変異(CNV)による進化が起こったことが示されている
ウシと同じように、CNVの中には毛色や身体のサイズなど機能的に重要な形質と関係するものがある(Fontanesi et al., 2010; Fontanesi et al., 2011; ヤギのCNV分析はFontanesi et al., 2009を参昭)
たとえば、ヒツジは成長ホルモン遺伝子のコピーを1~数個もっていて、この遺伝子のコピー数と成長速度は相関する(Fontanesi et al., 2011; Fontanesi et al., 2012)
人為選択あるいは遺伝的浮動がどうやってこの遺伝子のCNVに影響を与えたのか、今後の研究がまたれる
ヒツジでもヤギでも、家畜に特徴的な表現型である白い毛色についても、CNVが重要な役割を果たしているようだ(Fontanest et at., 2009(ヤギ); Fontanesi et al., 2010(ヒツジ))
以前、白い毛色はAgouti遺伝子座で優勢な点突然変異が生じた結果だと考えられていた(Fontanesi et al., 2009)
しかし最近、ザーネンなど白一色のヤギの品種のなかには、この遺伝子座にもCNVが見られるものがあることが見出された
それにより、なぜこの突然変異がメンデル形質のように遺伝しないのかが説明できるだろう(Fontanesi et al., 2009)
トランスポゾン(TE)もまた重要なゲノムの構成要素である(→付録2. ゲノミクスと系統樹)
いわゆる動く遺伝子はゲノムのなかを動き回るだけではなく、修復や複製を行うゲノムの仕組みを上手く利用して自らの数を増やす(反復する)こともある
特定のトランスポゾンの反復回数によって、家畜化以前と以後の両方を含め、ヤギの進化の興味深い特徴が明らかになる
あるタイプのトランスポゾンの反復は、ウシやヒツジやその他の反芻動物と共通したもの(Dong et al., 2013)
しかし、また別のタイプのトランスポゾンは、ヤギ特有の仕方で反復している(Dong et al., 2013)
このトランスポゾンの反復回数は、ヤギの在来種と品種の系統関係の解明や、家畜化過程の再構成に大いに役立つかもしれない
他の種類のゲノムの構成要素は、過去に起こったウイルス、特にレトロウイルスによる感染に由来するもの
HIV(ヒト免疫不全ウイルス)のように病原体となるものも多いレトロウイルスは「逆転写」という過程によって宿主細胞のゲノム中に自らを組み込むことができる
逆転写とはRNAの情報をもとにDNAを合成することである
もしも宿主の精子や卵細胞のゲノム内に組み込まれた場合、次世代に伝わり、やがては内在性レトロウイルス(ERV)と呼ばれるゲノムの構成要素として、種全体に広く含まれることにもなる
これは、進化的な意味で特に問題を起こしかねない
ERVが調節領域の近傍やその中に組み込まれ、遺伝子の調節をめちゃくちゃにしてしまう場合がある
時とともに進化が進行し、成功したゲノムはERVの問題を克服し、多くの場合、ERVは新たな調節要素へと変貌する
これは「ゲノムの家畜化」と呼ばれる過程
ERVは系統樹を構築する際の重要ツールになっている
ゲノム内のERVはそれぞれ組み込まれた時代が異なっているため、系統を区別するマーカーとして特定のERVを用いることができる
研究者たちは、ERVの分析によって、ソーイ羊のように原始的な食肉用のヒツジ品種の系統と、二次産物革命のあとに進化した品種と在来種すべてを含む系統とを区別できるようになった(Chessa et al., 2009)
よく似た種なのに異なる運命を歩むことに
ヒツジとヤギは近縁だが、人間の文化的慣習や歴史上の偶然のいたずらにより、家畜化されてからかなり異なる進化の軌跡をたどってきた
野生の原種でも家畜化されたものでも、ヒツジとヤギの第一の相違点は、後者のほうが表現型可塑性が大きいということ
ヤギはヒツジよりも適応力が高く、野生化した集団を見れば明白なように、広範な生息環境で生き抜く力を持っている
しかし今日、世界全体ではヒツジのほうがヤギよりも個体数が断然多い
特に西欧文化の伝統が優勢な地域にこれが当てはまる
ヤギは資源として十分に利用されていない
特にヤギ乳は資源としては十分に活用されていない
ヤギ乳のほうが牛乳よりもずっとヒトの母乳に近い(Haenlein, 2004)
おまけにヤギ乳は牛乳よりもラクトースが少ない(Ceballos et al., 2009)
ラクトース不耐症の人たちの大部分は、ヤギ乳には耐性があるので、栄養的に素晴らしい乳の利点を享受することができる
毛でも乳でも肉でも、ヤギの生産物に関わる形質を対象とする人為選択計画は、ヒツジに対する同様の計画に比べはるかに遅れている
今日生存しているヤギの多くははっきりした品種に分けられない
ささやかな闘士をして、計画的な人為選択により乳用あるいは食肉用の育種を行えば、莫大な利益が得られるかもしれない
同時に、ヤギの高い適応力と頑健さを考慮すれば、すべてのヤギの集団はきめ細かく管理する必要がある
→第9章 トナカイ